ベジタリアンについて、動物について、など私の思ったことを書いています。
□ベジタリアンの理由・きっかけ


ベジタリアンになるきっかけは人によって様々です。

私が初めて出会ったベジタリアンは、留学中に仲良くしていた台湾の女の子です。彼女は仏教徒であり、菜食の家庭に育ったので小さい頃から肉・魚は口にしないと言っていました。他にもインドやタイなどのアジアの国々では、このように宗教上の理由からベジタリアンになる人が多くいます。

また、健康上の理由からベジタリアンになる人もいます。日本では多くの人がこの理由ではないかと思います。マクロビオティックも最近ではよく知られるようになってきていますし、菜食によって健康になった、やせた、肌がきれいになった、などと雑誌でもとりあげられるようになってきました。

そして、動物や環境への配慮からというものがあります。動物への配慮・・という言い方だとちょっと偽善的に聞こえてしまうかもしれませんが、欧米などではこのようなきっかけの人が多くいます。
率直に、動物を食べるなんてかわいそうだという意見もありますし、現代の動物をモノとして扱う過酷な工場畜産への反発からというのもあります。また環境という視点では、工場畜産による環境汚染や、大量の穀物を家畜に与えることによる食糧問題ということもあります−これは、実際世界には全人口分賄えるだけの穀物があるにも拘らず、その多くの穀物は肉用の家畜動物によって消費されている−つまり飢餓状態にある発展途上国の食糧が、先進国の食肉を作るための飼料になっているという嘆かわしい現実です。

私のきっかけは3番目のものです。健康のために始めたのではありません。実際私は菜食を始めてから特に体重が減ったわけでもなく、何か目に見えて体が改善されたということも今のところないです(詳しく体を検査すれば、血がきれいになったなどの変化はあるかもしれません・・)。もちろん人によってはアトピーが治った、肥満でなくなった、病気が治ったなど著しい改善があるようです。私の場合は、精神面では大いにプラスになっていると思っています。いろいろなことを考えるきっかけにもなりました。

ベジタリアンは偽善的だ、ベジタリアンはそうでない人たちを見下しているのではないか、という意見がよくあります。もちろん「宗教上」「健康上」の理由からだと言えば納得してもらえるようですが、「動物のため」といったような理由を言ってしまうと、たちまち非難の対象となる気がします。

偽善的とはつまり、歪んだ動物愛護といったような見られ方です。植物だって生きているのに、感情だってあるかもしれないのに、それは殺して食べていいのか?なんて意見さえあります。
(私はこれに関しては動物と植物は違うという見方をしています。科学的に実証されなければどうしても難癖をつけられてしまうのですが、実際この違いは理解している方が殆どだと思っています。豚の頭を切り落とすのとほうれん草を引っこ抜くのは、私なりにはどう考えても違うことです。正当な理由付けがなくとも感覚で分っています。でもこの感覚というのも大切な要素だと私は思っています。)
私ははっきり言って、自分を偽善的とはまったく思っていません。なぜなら現代工場畜産は間違っていると自分の中で確信しているからです。後ろを振り向くこともできない柵の中で一生を終えるブタ、喧嘩防止にとくちばしを切断されてぎゅうぎゅう詰めにされるニワトリ、母牛と離され暗く狭い所で、空を見ることもなく短い一生を終える子牛。いくら大量生産で成り立っている現社会とはいえ、私はどうしても工場畜産に不満を感じずにいられません。正直動物がかわいそうだと感傷的にもなります。仕方ないとは割り切れないのです。

他でも述べている通り、私が菜食を始めてわずか4年。それまでは美味しく肉を食べていました。
今思えば、何も考えずに美味しく食べれていたのは私が現代畜産の現状を知らなかったからです。いろいろな関連本などを読むようになってから、今まで考えもしなかったことを考えるようになったり、多くのことに気付かされました。肉は動物から作られるという当然のことを、改めて考えさせられたのです。そしてこの飽食の国において、肉は感謝の気持ちを持って食べるもの・・どころか毎日大量に消費され、他の食べ物とともに残され捨てられていくものだということにも気付きました。
工場内で機械のように生み出されてゆく動物、そして屠殺されてゆく動物・・どちらも目を背けたい光景でしょう。しかしこれらを目にすれば、ウシもブタもニワトリも、痛みには悲鳴を上げその表情は悲しく、屠殺される時には必死の抵抗をし、私たちが“かわいがっている”“家族の一員とみなしている”犬や猫と同じ、感情豊かな動物だということに気付かされるのです。

私は肉食を非難しているわけではありません。過酷な工場畜産を非難しています。
例えば自然農法を行っている畜産業の方も多くいますが、最近ではHPも作られ、ネット販売も行われています。そのようなHPを見れば、飼育されている動物の画像が多く掲載され、えさや飼育状況なども目にすることが出来ます。これならば消費者も、実際口にする肉のもととなる動物を目にすることにより、自然といわゆる感謝の気持ちも生まれるのではないかと思います。
大事なことは、肉を食べる食べないということよりも、その肉がどのように作られたのかということを知ることだと思います。下記に興味深い文章があります。

「・・・消費者による異議申し立てが活発なのは、イギリスであり、これがEU全体に広まりつつある。たとえば、動物の福祉からみた一定の条件を満たしていない飼い方をされた豚肉を扱わない大手スーパーマーケットが出現したり、動物福祉の観点からのチェック項目が何十にも及ぶ飼育の条件によって、酪農家から買い入れる牛乳の価格にプレミアムやペナルティを課すという乳牛会社が現れたりしている。乳脂肪率が低いか高いかという牛乳の質で差別化するのではなく、乳牛の飼い方によって差別化するという新しい動きである。・・・イギリスの消費者は、たとえ食品としての質が変わらないとしても、悲惨な状況で飼育された家畜の産物を利用することに嫌悪感を抱き始めたといえる。こうした動きが日本にまで及ぶのはかなり先のことであろう。」  (ヒトと動物・朔北社)

日本でも最近は野菜ブームで、プチベジなんて言葉も出てきたり、ベジタリアン料理も注目されつつあります。しかしそれはあくまでも“ダイエット”“ヘルシー”のためのものであり、多くの人がベジタリアンになるきっかけである、“動物”や“環境”のことには触れられないのです。確かにだれもが目を背けたいことではありますが、多くの方に知ってもらいたいと私は思っています。

・・・なんだかとても長い文になってしまいました。ベジタリアンのことについて意見をまとめるのは難しいことで、私の中でもまだ考える部分は多くあるのです。また思ったことなどを書いていきたいと思います。