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□“牛や豚”と“犬や猫” ('03/6/30)
父から聞いた話なんですが・・。
子供の頃、父の友達の家が牛を飼っていて、その牛が屠殺場へ行くときの様子を見たそうです。
大規模経営とは違い、個人で飼っていれば頭数も少なく、家族のように育てていくわけで、
いわゆる出荷の日はとてもつらいのだそうです。
その牛はその日が来ると全てを察したようで、涙を流していたそうです。
そもそも話の始まりは、畑もいいけど動物もいたらいいかもねーなんて冗談で言ってたのですが、
結局出荷の日はかなりつらいということで、個人でやるのは気が引けてしまう人も多いとか。
動物・・といっても、やはり“犬や猫”と“牛や豚”というのは明らかに区別されていますよね。
牛や豚を食べる欧米人が、犬や猫を食べる韓国人を攻めていたのも良い例ですが・・。
私も小学校の頃からずっと犬や猫と育ってきましたから、やはり(多くの方と同じように)
家の犬や猫は家族という見方をしてきました。
一方、牛や豚は一緒に暮らすどころか目にすることさえほとんどないですから、
あまり感情移入することもなく、“食べる”動物と割り切れてしまうような気がします。
(・・・そういえば私は本物の豚を見たことがないような気がします。あったかな?)
でも牛や豚を飼っている人にとっては、犬や猫と同じ家族となるわけですよね。
確かに出荷の日はつらそうです。。涙なんて流されたらこっちが涙止まらなそうですね。
ある本に書かれていましたが、昔は牛や豚やニワトリを飼っている家もよく見かけたので、
“肉”というのは、よく目にする“動物”から作られるものだということを実感することができたから、
“感謝の気持ちを持って”食べるということも自然にできた。
でも今ではこのような動物を目にすることは殆どなく、パック詰めされているきれいな肉から
動物を想像することは難しい。なので“感謝の気持ち”というのは生まれにくい・・ということです。
そういえばタイの田舎のマーケットに行ったとき、肉売り場はすごいことになっていました。
早朝にさばいていたのでしょうか・・至るところに血。大きなバケツにニワトリの頭がいっぱい。
別のバケツに豚の足がいっぱい。極めつけは板の上にどーーんと置かれた豚の頭!!
もちろん生の(切りたて?)状態。穏やかなその豚の表情になんとも言えない気持ちに・・。
とにかく凄まじく、臭いもすごく、強烈でした。
でも別にそのマーケットが残酷ってわけではないんですよね。日本で売られているきれいな
肉だって、パック詰めされる前にはこのような凄まじい光景があるわけです。
牛も豚もニワトリも、その顔を眺められることもなく、屠殺という血生臭い場を見られることもなく、
一つのきれいな“塊”として、人々に購入され食べられてゆくのだ・・と思うとなんだか煮え切らない
ものがあります。そういう私も、豚の顔を生で見たこともなく豚肉を頬張っていたんですけどね。
以前の私は、牛肉や豚肉は食べていても、犬・猫の肉を食べることは非情すぎる!!
と思っていました。でも最近は自分の中であまりその区別はないのです。
韓国の“犬鍋”料理の写真を見ました。あー・・この肉は犬から剥ぎ取られたものなのか・・
と考えてしまいますが、最近ではステーキを見ても、これは牛の肉だよなー、と“動物”を想像して
しまうのです。“牛や豚”と“犬や猫”の違いが自分の中で少なくなってきているような気がします。
留学していた頃、滞在先の家でニワトリを飼っていました。かわいいなーなんて思ってましたが、
そういえば食卓にはよくニワトリの丸焼きが出されました。(飼ってたニワトリではありません!)
でも私はなーーーんにも考えずに美味しく肉を食べてました。
庭を歩いているニワトリと、食卓の上のニワトリを結び付けて考えたことがなかったのです。
もし結び付けてしまっていたら、丸焼きは食べれなかったかもしれませんね。
ポール&リンダ マッカートニーは、農場でジンギスカンを頬張っていたとき、窓の外の羊の群れを
目にして、「私たちが今食べているのはあの羊たち?」ということに気付き、それからベジタリアンに
なったということです。
つくづく紙一重だな・・って思います。何にも考えていなかったことに、ある日突然気付かされる
というか。私の場合は牛や豚の映像や画像を見たことがきっかけだったんですが。
・・・それにしても牛が涙を流すというのはかなり衝撃的でした。
私は犬や猫の涙もまだ見たことがないのです。
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