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□屠殺という仕事 ('03/5/11)
以前毎日新聞に掲載されていたという、“死の現場を歩く−第2部肉を作る”というのを読みました。
“第1部ペットの行方”というのは前に読んで非常に考えさせられたものでした。
今回この第2部を読んで・・またまた考えさせられました。
昔から偏見を持たれてきた屠殺という仕事。生きた動物を次々とさばいてゆく・・作業着は血まみれとなる。確かに誰も見たくない光景であり、まして“かかわりたくない”現場かもしれません。しかし偏見というのはおかしいのではないでしょうか?これだけ肉の需要があり、多くの人が毎日肉を食べるという現実。屠殺業者は残酷で、手を汚さずにきれいなレストランでステーキを食べる人は優しい??・・そんな訳ありません。お皿の上に置かれるのはきれいなお肉ですが、もとは生きた動物であり、肉になるまでには屠殺があり、血があるわけです。
・・・そういう私も数年前まで普通に肉を食べていましたが、屠殺についてはあまり考えたことはありませんでした。ただ美味しいと思って食べていました。残した事だってあります。感謝の気持ちを持って食べましょう・・という言葉は聞いたことはあるけれど、上辺だけでなんとなく理解していたように思います。以下抜粋文の中で、屠殺の仕事をされていた方の話がありますが、いかに動物の命を尊んでいるかがよく分ります。本当の感謝の気持ちというのは、屠殺されるときの動物の抵抗、悲鳴、血・・・その生々しい動物の命というものを目にして、初めて生まれるものではないでしょうか。
「ウン。タイヘン。デモ、マイニチ、ガンバッテルヨ」
「ナイフで、首、切る。血、いっぱい出る。最初、びっくりしたね。かわいそうと思った。でも、仕事。毎日毎日。かわいそうでも、しかたないね」
失業者の溢れるペルーから日本に働きに来た男性は、毎月故郷の母に仕送りをしているという。
「こげなよごれ仕事はみんなしたがらんですもんな」
同じ解体場で働く作業員の言葉。
<以下抜粋分です・・ぜひご覧下さい>
日本人に食べられるために「いのち」を提供する牛は年間400万頭、豚は2700万頭にもなるのだ。これに輸入分を含む10億羽の鶏や膨大な数の魚介類などを加えると、我々の「生」が無数の「死」によって支えられていることがはっきりと見えてくる。そして、銃撃場に引かれていく時の牛の目や、屠室で逃げ回る豚や、掛け金に吊るされる時の鶏の低抗は、我々が犠牲にしたいのちがその動物にとってかけがえのないたった一つのいのちだったことを物語る。
日本人の食卓に無くてはならない肉。肉のない食事など、今の子どもたちは3日と辛抱できはすまい。だが、肉に依存した食生活を営む一方で、その肉がどうやって生み出されているのか知っている子どもは、今の日本にはほとんどいない。子どもだけではない。多くの大人も漠然と理解してはいても、故意にそこから目をそらそうとしている。あたかも肉は最初から肉として、そこにあったとでも言わんばかりに。そうやって「いのち」がどんどん見えなくなっていく。
<屠畜場で働いていた藤本さんという方のことです・・>
藤本さんは現役時代からずっと毎朝、家の台所にしつらえた神棚に手を合わせるのを日課にしてきた。3年前に退職してからも、それは変わらない。
「家畜たちは人間の蛋白資源になるために、その尊いいのちを投げ出すんですからね。それを太らかす人も、365日、餌をやったり、糞ば片づけたりして手塩にかけて頑張りござる。だからこそ、我々がきれいな肉にしてやらないかん。そんな思いでね。働いている時はおがみよりました。休みの日には、家畜が安らかに過ごせますようにとね。今は、従業員が毎日楽しく過ごせるように祈りよります。だから1日も欠かしたことはなかですよ」
藤本さんが働いていた屠畜場には、桜の木に挟まれるようにして大きな畜魂碑が立っている。その碑の石は、藤本さんたちが大分県竹田市まで行って買いつけてきたものだ。碑に続く石畳の参道の両脇には、毎年秋の彼岸近くになると彼岸花が並び咲き、まるで赤い灯明をともしたようになる。その彼岸花も、藤本さんが後輩を誘って野から球根を掘ってきて植えたのだという。
「私はね、焼き肉する時はうるさいんよ。自分でひと切れ焼いて、それを食べたら、次のひと切れを焼きなさいとね。いっぺんにいっぱいのせて焼こうとすると私が絶対許さん。いっぺんにのせたら、すぼらかしてダメになってしまうやつが必ず出るけんね。肉はひと切れずつ、自分で食べるしこ、自分で焼いて食べなさいとね。みんなうるさかと思うやろばってん、言わんではおれんとよ」
動物新聞より抜粋
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