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□飽食と不殺生 ('03/9/6)
藤井宗哲さんの“精進料理をくらしの中で”という本を読みました。
この方は長く僧寺で修行され、精進料理の教室も開かれています。
私はこの本を読んで、初めて不殺生の本当の意味を知りました・・。
私は不殺生とは、動物や魚を殺さないこと、つまり食べないことと思っていました。
もちろんこの意味も含まれますが、より深い意味があるのだということに気付かされました。
つまり“食べ物を粗末にしない・感謝する”ということなわけです。
“素材を使える限り生かす”と本の中では書かれています。
これは何も肉・魚に限らず、全ての食べ物に関して言えることです。
例えば野菜であろうと、余すところなくすべて頂く、これが感謝の気持ちに繋がるのですね。
菜食だから不殺生、なんて単純に考えていた自分が浅はかでした。。
菜食であろうと、野菜を無駄に捨てるようでは“殺生”しているとこになってしまうわけです。
私自身今までを振り返れば、無駄は確かにありましたね・・。
特に畑を始めたばかりの頃は、作りすぎてしまってとても食べ切れませんでした。
最近では、少しづつ分けて植えたりしています。
・・・なるほど不殺生かーと肯きながら現代の食事情を見てみれば・・
もうこれは殺生の嵐ですよね。
動物だろうが魚だろうがなんでも大量生産、365日毎日大量の残飯、
グルメ・グルメ、溢れる店・レストラン、食べ放題、フードファイター(終わったけど)・・・。
私はこのフードファイターが本当に嫌いでした。
テレビで何度か見かけてしまいましたが、その度にため息が出ました。
早食いだの大食いだの、口に溢れるほどの(実際溢れていますが)食べ物を詰め込んでいく。
以前私が書いた文章の引用で、屠殺場で働いていた人の言葉があります。
動物たちは人の栄養となるように、自らの体・命を投げ出している。
だから焼肉を食べるときには、1枚1枚丁寧に焼くのだ・・ というような内容です。
それを味も分ってるのか分ってないのか、ひたすら口に詰め込むのは見ていて悲しくなりました。
あと、よく例に出されますが、私もどうしても他国の飢えている人たちのことを考えてしまいます。
日本というこんなに小さな国の中で、国民が消費し切れないほどの大量の食物が生み出され、
そして山のように捨てられてゆく。そしてそんな残飯を食べることが出来るなら、命を落とさず、
生きることの出来る人が世界に山ほどいるわけですよね。
無理なのは分っていますが、日本で消費できない分を何とか飢えてる人たちに送れないかなー
なんて思ってしまうのです。
同じ地球上で、一方では食べ物を溢れんばかりに捨て続け、一方では食べ物を探して
子供がゴミ溜めをあさったり、一つのパンを奪い合ったり、口にするものがなく死んでゆく。
こんなものすごい矛盾が生じているなんて、天罰でも下るんじゃないかと思ってしまいます。
最後に・・私も改めて、食材を大事に使おうと思いました。
確かに野菜を種から蒔いて育てると、本当に野菜も一生懸命生きていると実感します。
強風・大雨に曝されて倒れてしまっても、お日様が出ればまっすぐに起き上がる・・
あんな姿を見ていると、頑張ってるなーなんて思うのです。
それを引っこ抜いて食べるわけですからね。大事に食べきらないと・・と思います。
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