□頂いたメールの紹介・No.19 ('06/7/9)
私も「どちらかというと」菜食を6年間続けています。
野外で育てられた鳥や卵は食べています。
乳製品も食べています。
小学校で見たフォアグラ生産のVTR、
牧場のアナウンスで聞いた乳牛の一生、
屠殺場に送り込まれる動物の目の話、
保健所で処分される犬・猫の苦しみの爪跡の話
など、「かわいそう」と強く感じました。
立食パーティ等、信じられない量の肉料理も廃棄され、
自由競争がもたらす不当に憤りを覚えます。
「人の意識」が変わる以外
私一人が菜食しているところで
スーパーに並ぶ食肉の量が変わるわけでもないし、
パーティに並ぶ皿の数が減るわけでもありません。
本気で思っています。
肉を買う人は、目の前にぶらさがった一頭から
必要な分だけ切り取ってもらい、量り売りしてもらうべきだと。
できれば売り場に屠殺する場所を設けても良いくらいだと。
購入客に強制的に見せるべきだと。
縄文時代から人は狩りをして肉を食べてきました。
ナウマンゾウ、イノシシ、ウサギ、キジ、クマ、シカ etc
自然の恵みを受けて大地とともに生きてきました。
動物がいなくなれば人間も飢えました。
動物は野山で暮らし、人間の狩猟、「事故」に近い死に方をしました。
一方、工場畜産の動物は、自然の中に生きる自由を奪われ、
一説によると「己の最期を知って」殺されます。
人間が地球のキャパシティを越えて繁殖してしまった結果
もたらされている悲劇だと思います。
狩りだけで暮らしていくことは確かに難しいことです。
狩猟の代わりに、自然の空気を吸い、牧草を歩き回って育った家畜を
食べることは、現代において、せめてもの心づかいのように思われます。
植物と動物の違い
ナウシカの腐海の森のように、植物も世界を浄化するために
生まれていて、動物よりももっと広い視野で、
地球という惑星のために生きている。
現にCO2削減に寄与している。という捉え方もできます。
いくら植物でも、絶滅危惧種があるように、
厳しい環境や、環境の急激な変化によっては、
絶えてしまう可能性を持っていることも確かです。
一方、植物は大量の種を播きます。条件さえ合えば、多くの種は実生します。
季節を選び、植物の茎の途中を切断して、雑菌の少ない土に挿すと、
根付き、クローンが生まれます。
植物はあの手この手あらゆる手法で種の保存をしようとします。
また、植物は親がいなくても暮らしていけます。
動物は一回にどれほどの子供を産みますか。
腕を切って土に挿しても、どうにもなりません。
動物は赤ん坊の時に親がいないと生きていけません。
私は動物が弱いもののように感じることがあります。
以上、私が日々感じていることを書いてみました。
お忙しそうなので、お返事は結構ですよ。
これからも感じ、考えることはやめられないと思います。
お身体、お大事に社会貢献活動を影ながら応援させていただきます。
********そして以下が私の返信です。
初めまして。
Ray's Vegetarian Cafe 管理人です。
メールどうもありがとうございました。
お返事が大変遅くなりましたが、とても共感し・また私自身考えさせられましたので、
ぜひコメントさせて下さい!
> 小学校で見たフォアグラ生産のVTR、
> 牧場のアナウンスで聞いた乳牛の一生、
> 屠殺場に送り込まれる動物の目の話、
> 保健所で処分される犬・猫の苦しみの爪跡の話
> など、「かわいそう」と強く感じました。
小学校でフォアグラ生産のビデオなんて、すごいですね。
なかなかない機会だと思います。。
最近は昔に比べて、焼き肉も格安で食べれる様になったり、
フォアグラやフカヒレ等々、いわゆる高級食材とされるものも、
子供も普通に食べていますよね。
こんな時代だからこそ、肉が作られる過程というのを知る事は、
とてもよい勉強になると思います。
私も動物の様々な現状を耳にすると、
率直にかわいそうと感じます。
よくこの様な見方をすると、感情的だとか言われがちですが、
でもこの「かわいそう」という感覚は、押し殺すべきではないと感じます。
例え人間が生きていく上で仕方ない動物の犠牲であっても、
感情をしっかりと持つ事で、いわゆる「無駄な犠牲」は減ると思います。
> 本気で思っています。
> 肉を買う人は、目の前にぶらさがった一頭から
> 必要な分だけ切り取ってもらい、量り売りしてもらうべきだと。
> できれば売り場に屠殺する場所を設けても良いくらいだと。
> 購入客に強制的に見せるべきだと。
以前のエッセイにも書きましたが、タイに旅行に行った時、
朝訪れた市場は、それはそれは凄まじいものでした。
肉売り場のあの光景と猛烈な臭い。昨日のことのように思い出します。
切られて置かれた血の付いた豚の頭。バケツいっぱいの鶏の頭部や足部。
強烈でした。
この先進国日本で、数多くのきれいなスーパーで、
この様な形で動物を売るという事は、確かにあり得ない事でしょう。
買う方としても、残酷な光景にも強烈な臭いにも触れたくないし、
手に血なんて付けたくないですよね。
でも私は、この強烈なタイの市場にむしろ大事なものを見た気がしました。
そこにいれば、嫌でも「肉は生きた動物が殺されてできたもの」と実感できます。
タイの人達が、食べ物を残さないかどうか・動物に感謝しているかどうかはよく知りませんが、
この現状を目にしながら肉を食べる事と、目にしないで食べる事の差は、とても大きいと思います。
鶏は生きたまま買っていく人も多くいました。
家で捌くのでしょう。この日本で、鶏肉を食べる為に生きた鶏を捌ける人は、
そう多くはないと感じます。
タイには野良犬も多くいました。それ故犬の轢き死体も多く見ました。
正直見たくない光景です。
でもそこで思ったのは、美しく整備された日本の街です。
今の日本では野良犬なんて滅多に見ませんし、発見されれば殆どが保健所に連れて行かれます。
そして私達が目にする事のない場所で、毎日死んでいく犬(そして猫)たち。
私は時々、快適なはずのこの整備された日本が恐くなります。
何もかも排除しすぎてしまって、動物が生きているという実感が薄らいでしまうのではないか、
と感じるのです。
目にする動物はかわいいきれいなペットか、牧場でのんびりと過ごしている牛たち、
そしてパックされたきれいなお肉。
その裏にある動物の血や痛みや叫びは、全て隠されてしまう。
見たくない事だけれど、見なくてはいけないのではないか・・と感じるのです。
> 狩猟の代わりに、自然の空気を吸い、牧草を歩き回って育った家畜を
> 食べることは、現代において、せめてもの心づかいのように思われます。
そうですね!!本当に私もこれは感じています。
先月、長野の牧場に行って来ました。美しい空気の中、きれいな緑色の牧草が広がっていました。
広すぎない??と思うほど広大なスペースに、牛が放たれていました。
どの牛も毛並みが美しく、のびのびと過ごしていました。
(牛が軽快に走る姿を初めて見て、びっくりしてしまいました!)
いつか肉になる日も来るでしょう。でもそれまでの間、こんなに素晴らしい環境の中で過ごせるのは
理想的だと感じました。
工場の中で、ろくに身動きも取れずに一生を終える様な牛がいなくなって欲しい。
牛だけじゃないですけどね。
以前旅行先で目撃した広大な鶏舎では、ぎゅうぎゅうに押し込められた、
血だらけの鶏が多くいました。
「自然の卵」といった様な看板が掲げてあり、腹立たしく思ったのを覚えています。
こんな状態で商品となっていく動物など、本当になくなって欲しいです。
> 一方、植物は大量の種を播きます。条件さえ合えば、多くの種は実生します。
> 季節を選び、植物の茎の途中を切断して、雑菌の少ない土に挿すと、
> 根付き、クローンが生まれます。
> 植物はあの手この手あらゆる手法で種の保存をしようとします。
> また、植物は親がいなくても暮らしていけます。
>
> 動物は一回にどれほどの子供を産みますか。
> 腕を切って土に挿しても、どうにもなりません。
> 動物は赤ん坊の時に親がいないと生きていけません。
>
> 私は動物が弱いもののように感じることがあります。
・・・そうですね。こんな視点から考えた事はなかったので、非常に納得しました。
確かに動物は弱いですね。
人間の手で散々乱獲をして、絶滅危機の状態に陥れられた動物たち、
そして今度は必死に手厚く保護をする様子を見ていると、
せっぱ詰まらないとその動物の存在の重要性が見えないのかな・・と感じてしまいます。
昔乱獲されていたトキも、今では手厚い保護下ですからね。
嫌われ者のカラスが飛ぶ姿を見ながら、“将来、カラスが天然記念物になったりして”
なんて想像しちゃいました。。
お返事遅くなってしまいましたが、今回頂いたメール、ぜひぜひHPに掲載させて下さい!!
多くの方にも読んで頂きたいです。
よろしくおねがいします。 |
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