ベジタリアンについて、動物について、など私の思ったことを書いています。
□頂いたメールの紹介・No.11 ('04/8/3)


Rayさん、こんにちは。
時折いろいろ考えさせられながらも、楽しくHP見ています。

今回『魚や貝について考えてみる・・・』を読みました。
僕も以前から考えてきた事で、良い機会ですので、
考えを文章にしてみようと思います。

僕は、一時期ほぼベジタリアンでした。
目指していたという方が正しいのかもしれません。
最近は緩やかになって、ベジタリアンだとは言えないと思いますが、
肉はやはりほとんど口にしません。
他人に説明するときは『僕は肉は食べないんです』と言っています。

ベジタリアンであるということについては、常に自問自答の連続でした。
肉、卵、魚介類、牛乳又は乳製品どこで線を引こう?
もし線を引いたのら、なぜ僕はそこで線が引けたのだろう?
肉を直接は口にしなくても、成分表示で肉エキス、
またはチキンブイヨンなどが入っていたら…
植物だって肥料に肉骨粉のようなものが使われているかもしれない…

時にはどうしてこんなに菜食主義にこだわっているんだろうと思うことさえあります。
こんな変なことまで考えたこともあります。
もし僕は、動物を口にしたくないのなら、キムチさえ食べれないはずじゃないか。
(キムチは乳酸菌いっぱいでしょ。細菌は生きている!)
ちょっと話がぶっ飛びすぎましたね(笑)。

けどここまで考えたときに、動物かそうでないかではないなぁ、と思いました。
血が流れているかどうかでもないと思いました。
声を出すのか出さないかでもないと思いました。
確かに調理するときに肉や魚は、内臓があったり、血が流れたりするので、
生生しいです。とても好きにはなれません。
一方で植物にはそんな生生しさはなぜか感じません。
植物だって生きているはずなのに…

もし将来、植物と話ができるようになって、植物の声が聞こえたら、
僕はどうする
のかなと思いました。答えはきっと…感謝していただく、だと思います。

先日、飲食店に野菜を卸している業者価格を聞いて驚きました。
こーんな大きな袋いっぱいの人参が200円!?
いかに安く大量に生産できるかという考えは家畜の現状と同じだなぁと思いました。
植物は声を出さないけど、悲鳴をあげているかもしれません。
心があるかどうかは、目があるか、血が流れているかという事だけじゃないですものね。

悲観的なことを書いてしまいましたが、もちろん逆もあると思うし、
そうなってくれ
ると嬉しいです。
動物だって愛情たっぷりで一緒に暮らすとなついてくれるし、
植物も愛情たっぷりのをあげて、きれいな花を咲かせてあげたいものです。

しかし、食料難の地域や、TVで悲惨な事件を見たりすると、食物を選べる僕は
なんて
すごい事をしてるんだろうと思ってしまいます。
もちろん、稼いだお金で好きなものを食べる事は悪いなんて思ってもいませんが。
ストレスのせいか過食することもありますしね。コンビニにはお世話になります(笑)

頭の中ではまとまっていたのに、文章にして読み返してみるとメチャクチャです(+_+)
本題からかなり脱線してます。でもせっかく書いたので送信してみます。
こんな機会を与えてくださりありがとうございました。

ヴィーガンを目指していた僕は、最近は感謝しておいしく頂くけるように
なれる事
を目指しています。



********そして以下が私の返信です。


こんにちは。
お返事がとても遅くなってしまってすみません!
メールの方じっくり読ませて頂きました。頷くことがとても多かったです。

> ベジタリアンであるということについては、常に自問自答の連続でした。

そうですね・・。私はベジタリアンになって約5年になりますが、
最近は、“ベジタリアン”っていう言葉を意識しなくなってきています。

なんだか、ベジタリアン、って言葉がよく分からなくなってきているんです。
まあ人によって、その言葉の解釈も色々ですけどね。
最初は、“私はベジタリアンなんだ”というのをすごく意識していて、
肉を避け、動物について、環境について、地球規模の問題について
考えを巡らす、そんなベジタリアンに強い優越感を持っていました。
今でも、ベジタリアンは素晴らしいことだとは思っています。
でもだからと言って、それが全てではない・・と思っているんです。

・・なんて言うんでしょう、説明するのが難しいのですが・・
例えば、私が肉を避けてベジタリアン食生活をしていても、
明日もあさっても来月も、畜産動物は大量に殺され続け、
その残りの肉、他食物は大量に捨てられ、
多くの国では飢えて死ぬ人が何万といる。

すぐに目に見える成果が出なくたって、たった一人だって、
何かを始めれば絶対に意義がある。
それが少しづつでも広がっていけば、必ず何かが動く。
きっと良い方向に向かっていくはずだ・・・
と自分で勇気づけて、HPを作ったり料理を作ったりしてきました。
今でもこのことは強く思っています。

でも、このことについて考えたときに、ベジタリアンが全てではない、
とも思いました。問題はとてつもなく大きいものであり、
ひとりひとりが意識しなければ
変わらないものですよね。
確かにベジタリアン、として訴えていくのも一つのことではあるけれど、
それだけではなく、もっともっと広くも考えるべきだと思ったのです。

・・・難しいですね、説明するの。
ベジタリアン、という枠にはまってしまうのが恐い・・っていうことですかねぇ。
ベジタリアンというのは私の肩書きではなく、私の中にあるものの一部分、
だと思っています。

> 時にはどうしてこんなに菜食主義にこだわっているんだろうと思うことさえあります。

・・・このお気持ちも分かります。
私も以前ほど神経質ではないものの、今でも“線引き”をしています。
外食で肉か魚と言えば魚を選び、肉か卵なら卵を選び、
これとこれなら・・こっちを選び・・。でも私も時々よく分からなくなったり、
そんな自分のこだわりが
ちっぽけなことに思えたり。
それでも、こんな細かい行動で何も変わらないと思いつつも、
屠殺される動物の映像を思い出せば、肉を口にすることを疑問に思ったり、
どんなに小さな行動だって選択だって、やっていかなきゃ!
と納得したり。
きっと自分の中で、100%自信が持てたり、すっきりしたり、って言うことは
ないと思います。

> しかし、食料難の地域や、TVで悲惨な事件を見たりすると、
> 食物を選べる僕はなんてすごい事をしてるんだろうと思ってしまいます。

そうですね。本当に日本(他先進国)は食に関しては贅沢ですよね。
自然食ブームで、オーガニック野菜や食品もたくさん手に入ります。
忙しいときにはコンビニに行けば、ごはんやお総菜がずらりと並んでいます。
ファーストフード店では安く食事を済ませることもできます。
肉が好きなら安い肉をたくさん食べれるし、ベジタリアンになりたければ
豆腐などの豆製品、豊富な野菜や雑穀をたくさん食べることができます。
私は以前、肉も卵も好きでした。レストランでハンバーグやステーキを食べ、
マックにもよく行きました。
そして数年前にベジタリアンを始め、今度はたくさんの豆腐や野菜を
食べるようになりました。
変な言い方ですが、日本なら、どう転んでもとりあえず食べ物は豊富です。
食べるものを自分で選ぶことができる。これはとても贅沢なことだと思います。

でもやはり、私はベジタリアンという選択を良いと思っています。
この飽食・大量生産・大量破棄の現状は変わらなくてはいけないです。
その現状を改善させる一つの手段として、ベジタリアンはあるべきです。
肉も卵も牛乳も、余るほど生産するのは酷です。
その体を提供する動物・卵や牛乳を生み出す動物・・。
大量生産・破棄では、私たちの感覚が麻痺してしまい、鈍くなってしまい、
また見るべきものが見えなくなります。
私たちは動物に感謝するどころか、動物を“無視”してしまいます。
肉は私たちの周りに溢れているのに、動物の存在は遠のいています。
私は正直、この現状を嫌悪しています。

ならば魚だって野菜だって大量生産じゃないか・・そうです。
でも私は自分の中で、自分なりの“順序”ができていて、
やはりまず改善すべきは、肉の大量生産だと思っています。
もちろん魚や野菜の大量生産も考慮・改善すべき点はあり、
それはできることから改善していくべきだと思いますが、
まず、過酷な畜産動物の現状を改善すべきだと思っています。

・・書いてしまえば楽なんですけどね。
なかなか実現するのは時間もかかるし大変なことですよね。
考え方も人それぞれ違いますし。
でも、根本的な部分は共通すると思うんです。
無駄に殺される動物はかわいそう、っていう率直な気持ちとか。

何だか書き出したら止まらずに書いてしまいました。
私の方こそ本題から脱線していますが、自分の思ったことを書いてみました・・・。
“まとめ”部分がない文章ですけどね。。

今回頂いたメール、ぜひHP上に掲載させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?
とても興味深いご意見ですので!

ぜひまたメール下さい!私もサイトの更新頑張りますので、遊びに来て下さいね!