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□ベジタリアンを始めてから、その考え方の変化 ('04/2/15)
いわゆるベジタリアンになってから4年ほど経ちました。
(何年から始めたかはっきり思い出せないんです・・99年頃だと思います。)
当時を振り返ると、私自身の考え方の変化に気付かされます。
ベジタリアンになるきっかけとなった、工場畜産の実態が映し出されたビデオ。
今まで目にしたことのないその映像に、私はすっかり打ちのめされ、
牛や豚がかわいそうでたまらなくなり、肉を食べることはなんて残酷なのだろうと
かなり感傷的になりました。
普段見慣れていない牛・豚・鶏などの畜産動物。そんな動物たちがろくに体も
動かせないような状態で、日を見ることもなく、ただただ屠殺されるその日まで
毎日を過ごす。そしてその日が来れば、その体は吊り上げられ、頭に空気銃を撃たれて
のたうち回り、体が切り裂かれて血が噴き出す。そして肉のかたまりとなっていく。
それは実に生々しく、私には人間を殺すのと同じようにさえ見えてしまい、
号泣すると同時に、呆然としてしまったのです。
この衝撃は計り知れない物であったので、そこから暫くの間感情的になってしまったのも
仕方がなかったことのようにも思います。
それからの私はかなり神経質になっていました。
スーパーの肉売り場を目にすれば、あのすさまじい屠殺の映像が鮮明に思い出され、
レストランで肉メニューを目にすれば、なんて残酷なんだと思ったりもしました。
そして私自身、肉を食べることがこの上なくひどいことに思えてしまい、
食生活にもかなり神経質でした。例えば外食などで、少し肉エキスが入っている物を
口にしただけで自己嫌悪に陥ったこともありました。
こんな私でしたが、今ではここまでの極端さ・・のようなものはなくなっています。
決して考え方が柔らかくなったとか、妥協するようになったとか、そういうことではありません。
これまでいろいろな関連本を読んだり、記事を読んだり、人の話を聞いたりする中で、
私の考え方は少しづつ変わってきたように思います。
具体的に説明するのは難しいのですが、要は大事なことは“考える・思う”こと、
だということです。
私が肉エキスの入っている食事を避けたところで、また私が牛丼一杯食べないことで、
牛一頭が救われるなんてことはありません。
だからといって、じゃあ肉を食べよう!と言うのではないのです。
実際、私は普段は肉や動物性食品は避けています。
つまり、肉について、畜産動物について、それを食べるということについて考えること、
これが一番大事なことだと思うのです。
極論を言ってしまえば、肉を口にしようが、これらのことについて自分なりに考えているのなら
いいのではないか、ということにもなります。
以前書いたように、私は昨年2度肉を口にしました。
でも私は私なりに考えがあり、その上で肉を美味しく頂き、このことについて昔のように
後悔したり自己嫌悪にさいなまれることはありません。
殺される動物はかわいそうだ、これは人間として自然に出てくる感情だと思いますし、
この感情を押しつぶすことはないと思います。
それに、現代の工場畜産では不自然な状態で無駄に殺される動物が多くいますから、
余計肉を食べると言うことに対して、感情的になってしまう部分もあるのです。
私だってこの気持ちは変わりません。殺されるのを恐れ、必死で抵抗する動物を見れば
かわいそうと思いますし、このような映像を見たり、エピソードを聞いたりして涙することも
今でもあります。
でも、かわいそうだけではだめなんだ、と今では思うのです。
“かわいそう”・・この感情は持ちつつも、もっと考えるべきこともあると思います。
生きていくことって、残酷さも兼ねていて、とてもシビアなことじゃないでしょうか。
多くの無駄な動物の犠牲によって成り立つこの社会。でもこれを作り出したのは
私たち人間であり、実際この社会で私たちは暮らしています。
この現実をしっかりと受け止めた上で、何ができるか、どう改善していけるのかを
考えるべきだと思うのです。
かわいそう・・だけでは解決できない、根が深い問題だと思います。
これまで私の中でも、いろいろな心の葛藤がありました。
これからもあるでしょうし、考え方にもまた変化が出てくるのかもしれません。
ただ今の時点で思うのは、大事なことは肉を避けることだけではなく、
現代のこの飽食社会、動物の犠牲について、考えていくことだと思います。
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