ベジタリアンについて、動物について、など私の思ったことを書いています。
□動物への感情 ('05/3/20)


動物の様々な現状を知ってから、また、菜食を始めてから約5年。
考え方に色々な変化があったり、多くのことを学ぶことが出来ました。
そしてそういった考えは、これからも多くのことを目にしたり感じたり悩んだりすることで、
変わっていく部分もあるのかも知れません。

正直今、自分が何をどう考えていいのか分からなくなることがあります。
菜食を始めた当初は、とにかく今まで目にすることなどあり得なかった事実に直面してしまい、
ショックが大きすぎて、動物が傷つけられる全てのことについて、嫌悪感を持ってしまう自分がいました。

今の私は、ある意味落ち着いて考えられるようになってきたのかも知れません。
人は動物を犠牲にして生きているのだということ。
自分自身は動物を直接殺したことはないけれど、そのような仕事に携わる人々がいて、
間接的に自分はその恩恵を受けて生きてきたのだということ。
今こうして肉を食べないけれど、これまでたくさんの肉を食べてきて、それによって今の自分の体を
作ることが出来たということ。

あらゆる面での動物の犠牲は、私が幼い頃から既にあったにも拘わらず、その現状を目にする機会が
なかったために、知った時にはかなり動転しました。
いわゆるつらい部分を目にすることなく、その恩恵だけ、つまり良い部分だけを堪能してきたわけですが、
でもその間もずっと、動物に関わる仕事をしている人たちは、その恩恵を受けるだけでなく、
同時に動物の死・血・悲しみなども経験してきているわけです。

色々なことを踏まえて、視野を広くして、動物の問題を考えなければいけないのだと思いました。
そしてその考え方の変化は、私のHP上の文章などにも反映されていると思います。

見方によっては、私は落ち着いて物事を考えていると思われるかも知れません。
でも実際は、頭の中はいつも混乱しています。

人間も動物も、決して平等ではない・・不平等甚だしく、その差は大きすぎて呆然とするほどです。
家族に見守られて、たくさんの涙の中で死んでいく動物もいれば、
固まりの中の一動物として、苦しみと恐怖の中、ひとりぼっちで死んでいく動物もいる。
・・・っていうか、こんな動物が殆どですけどね。
年間億単位で殺される鶏、暗いガス室でもがき苦しんで死んでいく大量の犬猫、
毛皮を剥がされミイラとなったキツネやミンクの山。

仕方ない。
こう言われたら本当に仕方ない・・です。分かってます。
でも、私には割り切れない。仕方ないのだと考えようとしても、どうしても感情がこみ上げてきます。

米国のとある屠殺場の映像を見ました。
喉を切られ、中から内蔵らしきものが飛び出している。それでも意識があり、血の海の中悲鳴を上げて
のたうち回る牛。大量の牛肉を米国から輸入している日本。
この牛は私たち日本人用かも知れない。海の向こうの出来事だけれど、他人事ではないのです。
この屠殺場は、動物の扱い方が不適切だとして咎められている、そんな所ですが、
他にもこのような状態で殺される動物も多くいるのでしょう。
そしてそれは、毎日毎日行われている。。

例えば保健所で殺される犬猫を思う時、多くの人々が素直にかわいそうだと思うでしょう。
しかし、食用動物になると、仕方がない、という意見が多くなる気がします。
でも、確かにそうかも知れないけれど、現在の大量生産・大量消費・大量破棄の社会に合わせて、
動物が毎日毎日、地球上のあらゆる所で、山のように殺されているということは、許されるのか?
仕方がないで済ませるほど安易な現状ではないと思います。

私はこれからも、動物の問題について色々考えていきたいと思うけれど、
そこには常に、感情は付いてくるでしょう。でもこれがなくなったら、はっきり言って恐いと思います。
感情抜きに物事を考えることが必要なケースも多くあるけれど、動物の問題については、
感情を抜かしてしまったら、事態は良くならない気がします。
もちろん度が過ぎたり、周りを全て無視して突っ走ったら、変わるものも変わらないかもしれません・・。
でも、歴史上の大きな出来事にしたって、人々の感情が関わっているものは多くあるでしょう。
機械ではなく、生身の人間だからこそ、感情も尊重しながら動物の問題も考えていきたい、
そして、動物が大量に殺されているという現状について、その文章を読んだり映像を見たりした時は、
涙もこらえず、素直にかわいそうと感じ、その気持ち・感情を大切にしていきたいと思います。