ベジタリアンについて、動物について、など私の思ったことを書いています。
□“動物愛護”という言葉 ('04/2/2)


“動物愛護”。なんだか私はこの言葉が苦手です。
愛護・・・もちろん優しい言葉ですけど、私には何だか響きが妙に甘いのです。。
辞書で調べてみると、愛護とは、かわいがって大事にすること、だそうです。

私はこちらのHP上で何度も述べている通り、ベジタリアンになったきっかけは健康のためではなく、
動物の問題・現状を知ったからであり、そこから自分なりに考えてベジタリアンとなりました。
でも私は自分の中で、“動物愛護のためにベジタリアンになった”というのとは違うと思ってます。
牛や豚をかわいがり、大事にしたいから食べるのをやめる・・・確かに気持ちはわかります。
でも、全ての動物一匹一匹を大事に大事にしてたら人間は生きていけないでしょうし、
この理由では矛盾が生じてしまうような気がするのです。

でも日本では、まだ動物の様々な問題が公になっていない状態、つまり人々が状況をはっきりと
飲み込んでいない状態で、“動物愛護”という言葉が一人歩きしているような気さえします。
ですからとりあえず、動物のことについて何か話そうものなら、“動物愛護”でひとくくりにされ、
さらに悪いことに“動物愛護”という言葉への偏見が多く見られます。
私もメールや掲示板などで言われてきました。でました!愛護!偽善者!みたいなのりですね。
偽善者って言われても別にいいのですが、愛護者って言われると何だか腑に落ちないのです。

全ての動物を大事にしよう、かわいがろう!だからお肉なんか食べちゃだめ、豚さんかわいそう、
と涙目になっている、、そんな私を想像する方もいるのでしょう。
でも私が訴えたいのはこのようないわゆる“愛護“ではありません。
動物を全く犠牲にしないで生きている人なんて、よっぽど特別な環境の人でない限り、
いないと思っています。肉を食べなくたって、私は今こうして山を切り開いて作られた土地・町で
暮らしています。電車にだって車にだって乗る、野菜を作る過程でだって、動物の犠牲がある
可能性もあります。
つまり、人間が生きていく上で、ある程度動物の犠牲があるのは仕方ないことだと思います。
ただ、この大量生産・便利・飽食の現代社会において、私たち人間は莫大な数の動物を
無駄に犠牲にしています。そしてその犠牲に私たちはなかなか気付く機会がない。
よって、命を犠牲にするということ、またそのような動物へ感謝の気持ちを持つこと、
こういったことはあまりできなくなっています。でも私はこれは必要なことだと思うのです。

動物愛護・・・かわいがって大事にすること。
でも私たちにとって、“動物をかわいがって大事にすること“よりももっと大事なことは、
“飼い猫も野良猫も、肉となる牛や豚や鶏も、檻の中の動物も野生の動物も、
みんな命を持って生きているのだ”というごく当たり前のことを認識することだと思います。
まったく当たり前のことです。でももしこの当然のことを、私たち人間一人一人が認識できれば、
今のような莫大な動物の犠牲はなくなるのではないかと思うのです。